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文学史の面から見ても、日本の一九三三――三四年は特筆されるべき内容をもった二年であった。一九三三年の初夏、佐野学・三田村・鍋山等の共産主義者としての理論の抛棄と日本の侵略戦争を肯定する画期的な裏切りは、勤労階級の解放運動に未曾有の頓挫を来したばかりでなく、文学をも混乱におとしいれた。プロレタリア文学の領域には、前後して社会主義的リアリズムが提唱され、創作方法組織方法に関する猛烈な自己批判がまき起されていたのであったが、討論は十分新しい課題を正当に把握しきらないうちに、前年からしばしば弾圧を蒙っていた十年来のプロレタリア文学運動の活動家の大部分が情勢に敗北する等、文学における階級性の問題はこの期間に殆ど信じられぬ程度にまで紛糾し曖昧にされたのであった。
文学におけるこの階級性の抹殺は、自ら進んでそのように作用した一部のプロレタリア作家自身の生活と文学とに方向を失わせたばかりでなく、ブルジョア・インテリゲンツィア作家たちの心持にも明らかな影響を及ぼした。これまで、文筆活動の表現においては反撥の態度をとったにしろ、或は一定の範囲での同感を示したにしろ、何らかの意味で彼等にとっても一つの社会的刺戟、張り合いとなり、新たな社会への道と新たな文学発生の可能性とを感じさせていたプロレタリア文学運動の一時的後退は、ブルジョア・インテリゲンツィア作家達をも、社会的な混迷・無力感に悩したのであった。
今日は既にプロレタリア文学の領域においても、ブルジョア・インテリゲンツィア作家たちの間にあっても、その一時的後退からの立ち直りの徴が顕著に認められて来ているが、オノレ・ド・バルザックの作品の大群は抑々《そもそも》以上のような雰囲気の裡に甦らされて来たのであった。ブルジョア・インテリゲンツィア作家は、一年来声を大きくして来た文芸復興を内容づけるためのリアリズム検討につれ、プロレタリア作家の或る者は、社会主義的リアリズムに対する或る種の解釈の模型として、バルザックの花車《だし》は、急調子に、同時に些か粗忽に、様々の手に押されてわれわれの前に引き出されて来たのである。
彼の死後九十年近くも経った今日、バルザックに帰れ、と云い出した一部のプロレタリア作家が、各自のバルザックの推戴の不抜なよりどころとしたのは主としてマルクスやエンゲルスが断片的な文句でその労作のところどころに示している、
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