バルザックの作品に漲っている濃厚な社会性とリアリスティックな描写とに対する評価であった。マルクスは、ホーマア、シェクスピア、ゲーテなどと共にバルザックの作品を愛好したのであったが、それは全くこの偉大な十九世紀の作家が「フランスの社会の最も素晴らしいリアリスティックな歴史を与えている」からであり、資本論の或る箇所では当時の読者に親しみが深かったバルザックの作中の人物文章を引用することが賢明なマルクスにとって便利であると思われた程、資本主義の「経済的なデテールという意味でさえも、当時の凡ての専門的な歴史家、経済学者、統計学者達の書いたものを、全部ひとくるめにしてもって来ても及ばない程の」「あらゆるゾラよりも遙かに偉大なリアリスト芸術家」であったがためなのである。
エンゲルスが今日から四十六年ばかり昔イギリスの社会民主主義的婦人作家マーガレット・ハークネスに送って彼女の作品を批評した手紙の中に、以上の消息は明らかにされ、同時に、エンゲルスは同じ手紙で文学におけるリアリズムというものは「デテールの真実さのほかに典型的な情勢における典型的な性格の表現の正確さである」と言っている。バルザックは、とりも直さずそのような意味でのリアリスト芸術家であり、彼の作品がリアリズムの作品であったということはエンゲルスの云うとおり「作者の見解如何にかかわらずあらわれて来」たものである。即ち自身トゥールの農民の息子であるにかかわらず、姓名に「ド」をつけて呼んだバルザックが政治的に正統王朝派であったことは、同じバルザックが「牧師」の中でマルクスの心を打ったほど鋭く現実の資本主義商業の成り立ちを喝破していることと撞着するものでないというのが、バルザックの花車を押し出した一部のプロレタリア作家・理論家たちの論拠であったと見られるのである。
ところで、ここに一つの私達の興味と探求心とを刺戟してやまない微妙な人間の心理的発動がある。それは、上述のような部分において行われたマルクス、或はエンゲルスの見解の引用を根拠としてバルザックを推した人々が、当時の混乱していたプロレタリア文学運動に対しては一貫して文学における階級性の抹殺を提唱しかつ行動していた人々であったという事実である。
弁証法的創作方法という過去の旗じるしは、哲学上の規定と文学の方法とのけじめを明らかにしない点に誤謬をもち、様々な段階と気質の
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