用されることによって日常実生活の本質に於て非プロレタリアート的に堕した見本とも云える。
 同じ理由で、ソヴェトの革命当時擡頭した作家が今日大衆の厳格な批判の下に立っているのだ。
 ――だからね、
 自分はその知人に説明した。
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――これをただ、仲間の泥仕合という風に嗤うのは間違いだ。まして、読んだでしょう? 中村武羅夫が朝日で云ってること。つまり、初め既成文壇の勢力がつよかったからその敵に向って塊りあってたプロレタリアート作家が、この頃安心してモロくなって分裂しはじめたんだって。そして一寸好い心持ちそうに、互に排撃するのは(やり合うのは)いいが暴力沙汰は一般人に不愉快な印象を与え、ひいて我国の無産運動に汚点をのこしたことになる云々と云ってる。だが無産運動、プロレタリアート文学の本道はこんなことでビクつくようなヤワなもんじゃない。断然ない。大衆的なプロレタリアート文学上の意見の相異はどこまでもプロレタリアート農民大衆の前で公開的に行われるべきだ。ソヴェトは『文学新聞』『労働者と芸術』などの上で常に活溌にいろんな問題を批判し清算しつつある。それをまるで箇人的に黒島一人
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