した人々だ。然し、プロレタリア独裁のソヴェトに於ける革命をもろとも経験した文学団体の間でも、最近五ヵ年計画による社会主義的再建設に際して、レーニズムのイディオロギーを薄弱に把持する「同伴者」の団体は指導勢力をより純正な革命[#「革命」に×傍点]作家連盟にゆずった。「同伴者」から脱退し、自己批判を遂げてラップに参加した作家も少くない。
 日本のように、資本主義独裁と白色テロールの旺盛なところで、階級闘争は激化し、イディオロギー的差異は有無を云わせず作家の陣営を決定しつつある。既に一九二七年、右翼的固執を示した労芸の内部の情勢が三年間停止している筈はない。前田河が発表するプロレタリアート文学に対する感想は、モスクワで読むからばかりでない、どこの工場の隅で読んだって明かな悲しき反動にまで発育していた。其イディオロギーを内部に於ても批判するものがあるのは当然だ。
 代作問題だって、突きこんで云えば、ソヴェトでも一九二八年五ヵ年計画第一年頃非常に批判された、プロレタリアート作家の労働者農民の実生活からの分離が原因になってる。日本の先駆的プロレタリアート作家が無統制にブルジョア―ジャーナリズムに利
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