言葉で本を出版することなどはもっての外のことであった。
「十月」とソヴェト権力の確立、プロレタリア独裁とが初めて、この屈辱的な民族的差別を根本から廃絶した。民族は完全に独立した。自治共和国をもつようになった。今日では自由に自分の国の言葉で読み書きは勿論演劇もやる。学校教育もやる。出版される。「労働宮」の大きくない一室のドアの上に貼られた「ユダヤ語、タタール語新聞発行所」という紙は小さいものだ。しかし、それは世界幾千万のプロレタリアの「植民地独立!」と叫ぶ声である。
 ところで「労働宮」の半地下室へ降りて行って見て私はびっくりした。これはさながら最新式の欧州航路の汽船の内部のようだ。
 真白いエナメル塗の椅子がいくつも並んだ清潔至極な理髪室がある。
 大きい大きいニッケル湯沸しの横に愛嬌のいい小母さんが立って一杯三|哥《カペイキ》(三銭)のお茶をのませ、菓子などを売る喫茶部は殷《にぎ》やかな話し声笑い声に満ちている。
 体育室の設備のよさは、プロレタリア・スポーツの誇りだ。
 医務室がある。
 法律相談所がある。
 ゴルロフカの母親たちの便利も決して見落されてはいない。「母と子の室」。

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