ろうか。ドストイェフスキーが前世紀の終りに、彼のロシアの混沌を身辺のうちに反映して示したように。」
神の苛責
神は生涯私を苦しめた。ドストイェフスキー
○われわれの内部と外部との神とその復活 このかくされた神がドストイェフスキーの全作品の問題である。p.271
○ドストイェフスキーにおけるあらゆる論議は、露西亜の思想と神の思想とに終っている。――そしてわれわれの見るところでは この二つの思想は彼にとって同一物なのである。p.271
○ドストイェフスキーの神は、肯定と否定とを同時にもつ対立の始祖であり、従って不安の原理だからである。p.272
○彼は神を安静として夢みたのに、しかも見出したのは矢張り火としてであった。p.273
○つねに逆に還り、徹底的な対照になり切っている作家ドストイェフスキーは信仰の必要をとき 他の誰よりも激越にそれを主張しているが――しかし彼自身は信心をもっていないのだ。p.276
◎無信仰の十字架に釘づけになった彼は民衆の前に正統派の教えを説き、智識は分裂し燃焼するということを知っていたので これを抑圧し、そして聖書に即した厳格な農民の
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