脳髄である。p.243
○彼の作品の冗漫性にある意味――事件の骨骼の下に、対話の肌の下にこうも 神経を一貫したような物語の体系をもたない。p.245
○限界のない人間は永遠のものに到達出来るけれども、模索することは出来ない p.246
芸術
‥ の問題の根源として。
モラル ↓
◎芸術は永遠に満たされぬ者にとってはただ一つの端初にすぎず、その終末は無窮の中にあるのだ。それは一階梯にすぎず殿堂そのものではない。
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この事実は、芸術家の大きい魂の真実にふれている、常に自己を超えようとする本能的な焦慮
○限界の突破
そして、このことは平安を彼から奪うことを予約している。しかも 彼が芸術家であれば
[#ここで字下げ終わり]
◎芸術家は完成と静けさにおいて形成することを希うアーティストの制御しがたい憧れ をもっている、
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とをもっている。この二つの間にゆれる。そして最も強壮な精神だけがこの調和しがたい二つの本源的なものを、調和せしめ得る。
○文学者への扱いかたのむずかしさの核もここにある。
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◎ドストイェフスキーの文化上の貢献の意味ふかいものは自己認識の巨大な拡大 である。p.254
‖
無意識のものとか 潜在意識のものとかいう底知れぬものが彼の真実の世界であった。p.254
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〔欄外に〕
私――その崩壊――国民――再びそれとしての自分、この戻りかた。
芸術の根本的本質を持たないまま 日本の私小説はそこからぬけ出して、かえり見るだけの力の限界を踰えてより拡大された自己認識を与えるに成功し得なかった。
今日の文学の課題
尾崎士郎
[#ここで字下げ終わり]
◎一つの慾望が今度はしっかりと決定するかと思われながらつねに他のものに還ってゆくことが暗示されている、――凡ゆる衝動が永遠の変化の中で相互にもつれている。p.259
○彼等が慾求するのは 慾望の充足を希うがためのみならず、それと同時にまた慾望を拒否された堕地獄の状態をも希うがためである。
○対立は対立を生むのである。p.259
○狂暴な循環の中に彼らの意欲の旋風は渦巻いている。p.260
○われわれは彼以前にこれほど密集的な感情の多様を知らず われわれの霊的混淆についてこれほど
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