女地」などを書いたのであろう。が、全くその同じ原因によって、これらの諸作は当時ロシアの現実に生き、生長しつつあった真面目で急進的な青年男女のタイプを真に描いているものでないという猛烈な反対を各時代の先進分子から蒙ったのであった。

 特に有名な「父と子」のバザーロフに対する読者の憤激は深刻なものがあった。ツルゲーネフは、様々に弁明したが、新しい合理的な社会組織を探求する献身的な六〇年代の青年男女の理想と実践とを、一面的な観念的な解釈によって歪め、妙に不自然なものとしてバザーロフの中に鋳かためてしまったのは今日みても否定し難い事実である。ツルゲーネフは「父と子」とを外国にあって、手帳の上で人工孵化した。チェルヌイシェフスキイの「何をなすべきか」のように、身をもって六〇年代を生きぬいて書いたのではなかった。一八六〇年の或る日、ドイツを汽車にのって旅行していたツルゲーネフは、その汽車の中で一人のロシアの医者に会った。その若い医者との会話のうちに彼は或る独創的な新しい世界観の閃きを認め、深い興味を感じたことがキッカケとなり、バザーロフという人物を思いつき、ツルゲーネフは「バザーロフ日記」という
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