ている意志の弱さ、優柔不断な気質などが作用して、彼は同時代の西欧派に属する芸術家、思想家でもニェクラーソフやベリンスキーがしたように、ロシアの中でツァーリズムの暗黒と日夜闘いつつ果敢に新しい時代を啓いてゆく仕事に従事することには堪えず、自身は遠のいてパリからの目で「ロシアの破船的状態」を憂わしげに観察し、そこから無限の努力を経て頭をもたげ新しい歴史を担おうとする若いロシアの男女のタイプを観察し、小説に描くことになったことも理解されるのである。
ブランデスは、同じ評伝の中で、ツルゲーネフがロシア散文家中最大の芸術家となったと思われた理由をこう云っている。「それは彼等のうちで、彼が一番多く外国に住ったからのことであろう。彼が本国から齎した詩の泉は、永くフランスに滞在したことによって増されはしなかったが、それによって彼の芸術を硝子と額縁とに入れる術を学んだのである」と。
この観察は、ツルゲーネフの生涯とその文学活動を理解するために非常に深く鋭い示唆を含んでいると思う。何故ならば、パリの半移民として獲得したこの術によって、ツルゲーネフは「ルージン」を、「その前夜」を、そして「父と子」、「処
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