のです。
日本女のわきにくっついて歩いていた女の子が、仲間に、
――サーシャの描いたのもあるよ。
ふりかえっていっている。
狭い戸をあけて、セミョン・ニコラエヴィッチは廊下の横の小部屋へ日本女と一かたまりの子供たちとを入れた。
ここのも壁絵だ。廊下にかけてあるのよりは小さい児の絵である。色鉛筆で、目玉ばかりみたいな人間の顔や、四本足のフラフラしたあやつりの馬にのっかった子供の姿などがある。
――さあ、子供等これをお客さんに見せてあげなさい。
太い巻物を、一人のピオニェールに、セミョン・ニコラエヴィッチがわたした。
――なに? なに? 見せて!
――どけよ。そんなに顔だしちゃ邪魔んなるよ。
それは、「|若い観衆《トユーズ》の劇場」教育部員が苦心して製作した、児童の心理統計とでもいうものだった。
――仮に、この「インドの子供」をはじめて公演したとしますね。
セミョン・ニコラエヴィッチが説明した。
――我々は十分注意してヤマ[#「ヤマ」に傍点]のおきどころ、心持の変化――恐怖、よろこび、好奇心、滑稽などを、教育的な筋の上へ按配するのです。しかし、実際に当って見なけれ
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