しみ嘆く。「|若い観衆《トユーズ》の劇場」教育部がそこでいおうとしている迷信の力と科学の力との対照は、うまい演劇的表現で、大人をもひきつける面白さである。
――これは、割合成功したと我々も思っています。だが、往々大人は子供の心持をかんちがえするのでね。いつも研究が必要です。
幕あいが十五分ある。日本女は、お爺さん教育部長のうしろについて、廊下へ出た。子供。子供。子供の国だ。
――今日は! セミョン・ニコラエヴィッチ!
赤い襟飾をつけたピオニェール少年が挨拶する。
――セミョン・ニコラエヴィッチ! こないだの絵もって来ました。
そういうのは、そばかすのある女の子だ。
――そうか。じゃこっちへ来なさい。
――僕も一緒に行っていいですか? セミョン・ニコラエヴィッチ。
セミョン・ニコラエヴィッチと小さい日本女は、いろんな鼻つきをした子供の群にかこまれて、子供だらけの廊下を行った。賑やかな廊下を歩くのは、むつかしかった。廊下の左右には、ズラリと絵がかかっている。それに子供がたかって見ている。
――あれはどういう絵です?
――ここで、芝居を見た子供たちが、その印象を描いたも
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