室を通って来なければ、こっちへ入れないように出来ている。
レーニンは十月革命前後から、モスクワへ首府をうつすまで、この一室で、この椅子で、妻のクループスカヤと仕事していたのである。
レーニンは、外国亡命中にも、いろんな都会や田舎で、いろんな室に住んだ。モスクワのレーニン研究所所属レーニン博物館へ行ったものは、レーニンがウリヤーノフという本名で中学生だったころ、どんなに行状のよい優等生であったかを知るとともに、クレムリンに政府が引越して来てから、レーニンがどんな室に住んでいたかも、見ることが出来る。
そこには、世界的に流布された『プラウダ』を読むレーニンの写真でなじみの机がある。三つのガラス戸つきの本棚が立っている。皮張椅子が三つ。そして、壁には地図がはられ、もう一つ貼紙がある。「禁煙」。この室に寝台はない。
だが、レーニンが住んでいた室という写真の他のどれを見ても、机がきっとあると同時にきっと粗末な寝台がうつっている、彼がそれだけ、いつも倹約に生活していたことの証拠だろう。
――元、この室にいろんなものが陳列してあったんですが、それはレーニン博物館へ集めてしまった。
ムイロ
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