の可能は見とおされている新社会の民衆の個性の発展の本質的意味を、明瞭に描き出し、横行している強権に対立するものとして示すことが出来なかったのは、ジイドの所謂《いわゆる》進歩性の本質を疑わしめる。新しい社会の建設過程は多岐、困難であるから、ジイドの観察が嘘ばかりだとは思えない。特に、民衆の個性、自発性の涵養の問題は常にソヴェトにおける文化問題の究明に際して最前面に出されているのであるから。彼は、それらの現象の本質の把握において誤ったことで遂に全体さえも誤ってしまった。
更に、ジイドの混乱の心理的原因として、旅行記の中にうかがえる微妙な数行がある。それは不思議とも思われる一つの事実であるが、どういう訳かジイドは、その便利な文化的位置にもかかわらず、一九三五年以来の新方針というものを、何か、あるとおりに理解していないらしい。一九二一年の新経済政策当時に、観念的な革命作家たちが陥った混迷に似たようなものに捕えられているのではないかと思われる。これはどういう理由からなのであろう。旅行記の中には説明されていない。只そうらしく推察される暗示的な数行があり、その数行は、ジイドがフランスを出発する以前
前へ
次へ
全21ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング