から、その主観の中で、建設の指導者たちと民衆とを切りはなしたものとして感じていたことをほのめかしているのである。ここにも、ジイドが新社会の批評に当って心理的に拍車をかけられた内奥の秘密が横《よこた》わっているのではなかろうか。
ジイドは、新しい社会が克服すべきものを指摘した過程において、一層あからさまに自己の克服すべきものを示した。彼の旅行記に対する『プラウダ』の批評やその他の批評を、ジイドは、どう摂取するであろうか。これは自分の真実[#「自分の真実」に傍点]であると固執することによって「自分というものが自分が自由に動いたかどうかを了解し得る唯一のものであり、自分の責任を評価し得る唯一のものである」という個人の中に戻り、再び自分の前に空間のみを見ることは、ジイドの欲しないところであろう。ジイドは芸術家としての晩年において、一層自分という個性をより高からしめる実際の課題に逢着しているのである。[#地付き]〔一九三七年二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本
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