何かこしらえものを語っている。旅行記の中で、遺憾ながらジイドは昔ながらに自分の前に自己の熱意の投影のみを見ているのである。「何ものかを目指しながら進んでいる」と自身思い、その内容として「個人にその元来の豊富性を回復させ」「今日、文学、文化、文明を発展させ、開花させることの出来る」文化建設のための闘争への自身の生命を結合させていると信じながら、ジイドは、実際に当っては、一般抽象性の中でだけ文化の自由を擁護している。ジイドは自分の論敵が「秩序の愛と暴君の趣味を混同する」者共であることは自覚している。そやつ等に対して誠実、真実を語らんとする自分に、自尊心などということは問題にならぬと「一粒の麦もし死なずば」時代のような勇気を示しているのだが、今日の社会事情の中でジイドのその勇気は、真の勇気たる本質を失っている。彼の論敵たる勢力が「民衆を隷従、蒙昧、無智の状態に引止めて置こうとしている」現代の「非真実」な社会現象との闘いが、今日すべての人間らしき人間の関心事である。それに対して、彼が最も理想とする完全な個人主義の花盛りにまでは、人類として、歴史的にまだ多くの忍耐と時間とを要するとしても、既にそ
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