にのみ固執し、それに意識を奪われて大局を見誤っている。彼の理解に従っての精神の独立|不羈《ふき》を護ろうとする、その態度を示す自己目的のために急であって、彼が他の場所でははっきり認めているかのようであった、現代の社会・文化対立の関係の中でソヴェトの現実的特質を評価してはいないのである。
ジイド自身にもしこれらの諸点が分っていたらU・R・S・Sの民衆の持っている幸福の可能の現実的根拠、社会生産関係の上での歴然たるよりどころを見のがしはしなかったであろう。ロシアの民衆が過去にもっていた歴史的な桎梏の性質と、今日の事情との間に十九年の歳月が与えた飛躍の実質を看取したであろう。旧社会で、卑俗な日常の幸福の可能が、多く無知と無気力と批判力の喪失にかかっていることを洞察し、それに抗したかぎりジイドは健全であった。しかし、純粋な誠実[#「純粋な誠実」に傍点]へのポーズに負けて、旧社会におけると同じ角度で、同じ性質の矢を放ったとしても、それはソヴェトの現実の的を射ることは出来ない。ソヴェトへの旅行において、ジイドは遂に客観的にソヴェトを語ることが出来ず、従来小説の人物をも理念でこしらえていたように、
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