ある文学というものはこの社会に対立する文学以外のものであるとは考えられない」と云っているのであるが、作家としての彼が一度、この内なる自己と外部との葛藤、相剋をとりあげるとなると、それは全く社会的背景から抽象された心理分析、フロイド風の或はドストイェフスキイ風の意識下のものの探求となり、作品に現れる人物が本質の窮極においては彼の内的所産であることは「狭き門」の頃とかわりない。ジイドは、人間は何を為し得るかをつきとめようとして日常の平安を拒絶する人間精神の冒険者として、人間の個性を本性におくばかりでなく、より高く高くと自己から脱せしめる力として、一九三一年のU・R・S・Sを見た。目的を達したならば更にそこを超えてゆくことを個性のモラルとし、自身の行動の原則としている彼の主観において、ソヴェトの社会が「なすべきことと、したいこととが一致している」ところであると見た。飽くことない探求者、個人主義者のアンドレ・ジイドは、人間を求めて集団生活にたどりついた。「正しく理解された個人主義は当然社会に役立つべきものだ。個人主義をコムミニスムに対立させるのは間違いである」と思うジイド独特の歩きつきで「U・
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