てはっきりと、ジイドがソヴェト同盟の建設に牽きつけられるにいたった、特殊な主観とその内的構造を弁別しなければならない。何故なら、ジイドにあっては、ソヴェト同盟への傾倒が、その紀行の中でも一寸ふれているように、社会問題の面から結果したのではなく、その当初から全く内的な、心理的な問題として惹起されたのであったから。ジイドがU・R・S・Sに結びついたのは政治家としてでもなく、社会運動家としてでもなく、勤労者生活による利害の教訓からでもなかった。そのことについては彼自身率直に表明している。「……さらに私は自己の無識を感じており、そして日に増し強く感じている。政治、経済、財政上の諸問題は、私が敢て足を踏みいれることに危惧の念を抱かざるを得ぬ分野に属する」これは、ジイドにとって、コンゴー当時からの態度である。一九三五年パリで行われた「文化擁護国際作家会議」でも、ジイドは作家としての「自分の中に持っているもので、自分には最も純正で、最も価値あり、最も健全であると思われるものが、すべて周囲の因習、習慣、虚偽と忽ち、そして直接に矛盾衝突した」、「思うに我々が今なお住んでいるこの資本主義社会では、凡そ価値
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