役立ちたいのは何もののためであるか、それがはっきり掴めない焦燥と不安とであった。
作家としてのジイドを三十年間押し動かして来たものは、当時そうであったように現在も只管《ひたすら》に真実ならんと欲する情熱である。彼が自身の存在全体に求めるのは、純粋の誠実さである。彼は主観の裡に燃えるこの情熱によって、フランス中産階級の生活に瀰漫《びまん》している因習と闘い、自分が自分である権利を主張して来た。習慣と惰力とが引っぱって来ているしきたり、俗的真理に対置するものとして自分の真理[#「自分の真理」に傍点]を主張した。真実の自分とは違う自分の肖像が押しつけられそうになると、ジイドは、たといその偽の肖像の方が世間的に有利で通りがよかろうとも、自分から自分を曝露して、自己に真実であろうとした。無気力な安逸を絶対にきらう「狭き門」のアリサの熱情はその不安と定着との拒絶と自ら帰結を知らない点でも、実にジイド自身のものであると云える。「神がいないのだったら何をしたってかまわない」そういう神の否定ではない。自分の、各個人の本性から尽きず湧き上る要求、モラルがある。因習に強制されない自分の個性そのものが既に他
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