。モスクワの街を歩くロイド眼鏡の必然性を。メリイ・ピックフォードの夫ダグラス・フェアバンクスの軽業に対する新ロシアの愛好心を。桜の園を媒介として、我々は、ロシアの異様に独特な魂が、現在、自分の魂の一部分をどんな眼で眺めているか、その眼付を理解することができるのだ。ガーエフは、緑色羅紗の上でおとなしく小さな白い球を転《ころが》して一生を終った。今ロシア人は、ひろいグラウンドへ一つの大きい球をかっ飛ばし、それを追っかけ体ごところがり廻る。ロシアの新しい運動、蹴球《フットボール》。一名、動的生活《ダイナミーチェスキー・ジズニ》。球の皮と皮との継ぎ目には“К”とスタンプが押してある。
 一ヵ月経った。モスクワの春がむら気に近づいてきた。雪がひどく降った。
 雪の中を私はいつも変らぬ我が道伴れとともに借室《クワルティーラ》を見に行った。そこから日本大使館へ廻った。本館の帝政時代のままの埃及《エジプト》式大装飾の中に、大使はぽつねんと日本の皮膚をちぢめて暮している。事務所は、離れた低い海老茶色の建物で、周囲の雪がいつも凍っている。今日は雪が氷の上に降った。
 白いタイル張りの暖炉があって、上に薬罐
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