がチェホフの劇作の力点であった。――ラネフスカヤは成功した。
 ロパーヒンの成功も私は同じ理由だと思う。彼はラネフスカヤと玉突好きのあまりに紳士的な兄とに、桜の園を別荘地に開放することを頻りにすすめる。ラネフスカヤは、そんなことは思っても見ないし、聴く気もない。ぼーっとして、ただ金の入用とそれがどこからか来なければならない、それだけを感じている。(ここで面白く感じたのは、築地のラネフスカヤとここのラネフスカヤとに現れた、何か伝統の違いというようなものだ。築地のラネフスカヤは、ロパーヒンの云うことをとにかく一応は聴いた。脳髄へ反射させた。そして、そんなこと……できないことだ。――できない――然し何故? 東山千栄子のやや堅いニュアンスの中には、仄かにだが日本の祖先伝来の土地に対する観念がにじんでいた、意識、神経の緊張、潜在的な判断があった印象なのだ。
 ここで、ラネフスカヤは、心の態度が全然違う。彼女は、てんで現実のこととしてこの申出を受けつけない。心どころか神経にも影響しない。内容が理解されない――ロパーヒンの考えは、彼女にとって宇宙外のことなのだ。)
 終にロパーヒンが桜の園を買いとっ
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