らどんなに見えているかといえば、得たいの分らない、ただの茶色っぽい花模様の書割だとしたら――。築地小劇場ではどんなにそれが朝らしくあったか……桜は白くにおやかで、ラネフスカヤの心持と調和していたか! ロシアの桜は本場の日本の桜と違うというなら馬鹿げた洒落だ。
書割で、我々は絶えず築地へのノスタルジヤを感じ通しであったが、ラネフスカヤは? アーニャは? ロパーヒンは? 彼等はやはりよかった。
ラネフスカヤのまるで無計算な、上品で、真心があって、しんのしんまで暖い性格が、第三幕目では遺憾なく見物の心を捕えた。
ラネフスカヤの性格は、いわゆる劇的に誇張されたものでないことが、今日でもロシアのある女のひとびとを見ると、私共に感じられる。もちろん桜の園以来、彼女は一九一七年、二〇年を経験した。ラネフスカヤのように無計算では生きられなかった。彼女は遙にしっかりした主婦らしさを備えている。然し、眼の中にか声の響の中にかどこかに、この暖かさ、善良さ、心持よい真率さがのこって生きている。ロシアの女優にとって生粋にロシア女であるラネフスカヤを演じることは自然だ。自然に生活の中にあるが儘に演出すること
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