んだ。最後の分は、駒沢の竹藪のある部屋で訳された。
すべて、人間が自分の内的生命を注ぎ出して書くものには必ずその人の調子と云うものがある。思想的傾向とか、主要観念とかいうものの他、その人の心理的なテンポ、硬度、音波がある。媒介物である文字さえ文法的に正確に捕えたら、その作物の全リズムまで捕えたとは決していえないと私は思う。特定の波長に対しては特定の検波器がある。電波に関するこの中学生的常識は、文学における原作者と翻訳者との関係にも極めて自然に適用される。すなわち、私はこれだけのことを云いたい。私は訳者を識っている。平常着のままでよろこんだり、むずかったり、癇癪を起したり、モスクワへきて、雪で滑ったりする彼女を知っている。そして、チェホフの、この一種特別な妻に与えた手紙を翻訳することにおいて、彼女がかなりな程度まで調和する自身の構造を持っていると。
どの書簡でもそうだが、これらのチェホフの手紙は相変らず賢こい。しかし、彼の出版者マルクスへやった手紙よりは、当然感傷的だ。訳者の思想や文法的知識以上に、彼女の感情がこの翻訳に大切な役割を持った。だから、心持に手綱のかかっている前半より、一
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