まま何か読んでいる。黒い細いリボンを白シャツの胸にたらした女が大きな紙の上で計算している。勘定台の後横から狭い木はしごの一部が見えた。そっちは、だがまるで暗い。外からの光線で、見えるのは数段のはしごと横のきたない壁面だけだ。鳥打をかぶった青年がドドドドとかけ下りて来て、勘定台から切抜帳みたいなものをとりまた昇って行った。
 店の内部に居るのは六七人である。互に背を向け合って静に本を探している。小さい男の子の手を引いて体格のいい四十がらみの労働者が入って来た。彼は週刊新聞、『労働者生活』を三ヵ月分予約した。
 その労働者が立ってる定期刊行物見本テーブルは幾分土曜日夕方のハイド・パアクにおける言論市場をほうふつさせた。労働組合《トレード・ユニオン》の機関紙、炭坑組合新聞などが党の刊行物とともに売られている。

 トラファルガア広場のトーマス・クック本店横から二台の大型遊覧自動車が午後七時の薄暮をついて動き出した。
 トーマス・クック会社名前入りの制帽をかぶった肥っちょの案内人が坐席から立ち上って「ここがオックスフォード通。只今通りすぎつつあるのはロンドンの最もしゃれたレストランの一つ、フラ
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