・ロシアの「住居」の観念とこれはまるで違う。また、ル・コルビュジエの「家」の観念とも違う。イギリスの多くの尊敬すべきMR《ミスター》・AND《アンド》・MRS《ミセス》にとっては或る種の日本人のように家すなわち国家細胞としての家庭で、彼らはどんないいことも悪いこともその中で考えたりやったりしているのだが、ただそのやり方が支那人のように叫喚的でも日本人のように神経的でもなく――そうだ! この話し振り通りの要領である。互に他人に聞かす分量と自分の内へしまっておく分量との区別を知りそれを常に間違えない技術的訓練でやっているのである。
 小指にはまった指環が暑い日光に光ってひっこんだ。日本女の前にレモンをそえたドーヴァ鰈《かれい》のフライが置かれた。
 ドーヴァ鰈のフライは、頭から食べてもしっぽから食べても、靴をぬいで食べないかぎり英国の徳義には触れぬ。魚は新鮮である。胃はからだ。片身がきれいにとれると美しい骨格が現れた。が、黄色鮮やかなレモンの皮に向ってひろげた魚族の骨の真中に、日本女は小さい小さい飛行機の機影が映っているように感じた。ドーヴァ海峡の海の水を霧の上空からみおろすと紫がかった灰
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