いる。種々なサンドウィッチ、菓子、果物サラドの全行程をリプトン紅茶とともに流し込んで、丈夫な群集にピエロが描いた細い眉をあげながら顫音《トレモロ》でロマンスを唄っている。
だが、彼女の皮膚はきっと冷っこいのだ。それは若々しい彼女自身がしなやかな一つの楽器ででもあるようにああやって立ってヴァイオリンを顎の下へ当てがってる工合でわかる。弓《きゅう》を運ぶむき出しの右腕の表情でわかる。彼女は近代女性の感覚で、ロンドン有数な喫茶室の第一ヴァイオリンひきという自分の職業を理解しているのだ。
この時百貨店スワンの五階で、マニキン学校卒業の一人の美しいマニキンが着換のため急いで昇降機《リフト》へ入ろうとした。拍手に彼女はあたりまえの女になり、我知らず気を急ぎながら足許には注意する、大して若くもない、大して楽な暮しもしてない女のうしろつきを人生の真実な一瞬に向って落して行った。
これ等はどれもチャーリング・クロスから遠くないところにある情景だった。チャーリング・クロスは古本屋通である。交通機関が立てるちりは古本屋の店頭で大英百科字典《エンサイクロペディア・ブリタニカ》の堆積の上へ落ちた。よ
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