ある。美しい耳飾をたらし、白い歯の上で英語語彙中のある部分――慈悲とか同情とか社会的意義とか云う言葉をへらしつつ着々自身の経歴に重みを加えている。
 満ち足れる人々から一シリングでも多い寄附を得るためには彼らを極めて快く楽しませなければいけない。演劇園遊会。三つの芸術(文学、音楽、美術)の舞踏会。――そこにミス・メイシーの頭脳がいる。婦人水着の新型がニューボンド通に現れるより遅くも早くもない時に游泳祝祭《スゥイミングゲーラ》を。そして、貧しき母の為の産院寄附金募集には上流貴婦人連が各自家重代の銀器を持ち出して華々しい展覧会を開催するというグロテスクな皮肉に亢奮させられてはいけない。英国人は「|与え而して取る《ギブアンドゲット》」という人生根本原則が顛覆しない限り、あらゆる人生の美、醜に面してつねに沈着なのである。

 八月某日。デイリイ・ミラアに面白い記事がある。ロンドン市の「疲れた婦人の休養所」の一つがX嬢その他数人の献金によって数年来経営されて来た。ところが最近ロンドンに疲れた女が殖え、よく繁昌する。一日退職軍人その他から成る委員が集った。そして決議した。「当院が今日の如く隆盛におもむいた以上さらに有料寝台を増して、その利益配当を最初犠牲的社会奉仕をしたX嬢その他出資者に分つのが最も合理的な感謝手段であると思惟す」と。
 もっとも決議に出資者らが何と答えたかは出ていない。出資婦人達はオスワルド・モーズレイ一族みたいに写真班に追廻されないというだけの違いでやはり南フランスの海岸でも歩いているのである。

 巴里《パリー》に日本人が沢山いる。巴里《パリー》で日本人はいかにフランス人が考えるように物を考えるべきかということを第一に学びはせぬ。巴里《パリー》で日本人は俺が考えたいように物を考えても苦情の云い手はないんだということを何より先に学ぶ。賢い奴はさらにその俺の考えというもののこね出し方について必要な意志を自覚する。
 英国で日本人は違う。日本人のまんまさすらい廻って巴里《パリー》でのように皮膚黄色き異国情調を売っておられぬ。英語の夢でうなされなくなった時、下宿の晩餐にいちいち襟飾を代えて出るのが面倒くさくなくなった時、頭の蓋を一寸開けてなかを見せて呉れ。彼は英国を理解しているばかりではない。すでに英国人のように考え、云い始めている。英国までの旅費は高いから行って
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