シリング六ペンスのダンスとテニスに関する告示が鉄柵の上のビラに出してある。ここはロンドン市が誇りとする、そしてあらゆる案内書に名の出ている「|民衆の宮《ピープルス・パレス》」なのだ。何か民衆のための実際的な設備がなくてはならぬ筈である。
そばのくぐり門を入ると左側に二つ並んでテニス・コートがあった。硬球だ。黄色い運動服を着た女学生と白ズボン、白シャツの青年が愉快そうにテニスをやっている。門外の告示に書いてあった。テニス・コート使用料一時間二シリング。電話|東《イースト》一七一五番、または事務所に照会せよ。
その辺には誰もいない。温室のようなガラス張の天井があちらに見えた。喫茶室《ティールーム》とあるので日本女はその中へ入って行った。沢山の空の籐椅子の上に日光がある。高いガラス天井の下やしゅろの鉢植のまわりを雀が二羽飛び廻っていた。茶番の年とった女がいるだけだ。日本女は英領オーストラリア産小鳥の剥製を眺めながら宏大な空気中で三ペンスのパン菓子を食った。そうしたら雀がその粉をついばもうとしてテーブルのまわりをとび始めた。
携帯品あずけ所と洗面所は清潔だ。民衆《ピープルス》にとって残念なことにはその心持いい水洗便所《ウォータークロゼット》を利用するために通って来る暇が彼らにないということである。
いくら笑っていても日本女は英国人の愛するお伽噺の女主人公美しきシンデレラではなかった。既に過去何十年間かこの宮殿《パレス》にない図書室、科学、芸術、工業の知識普及のためのクルジョーク(組)。モスクワではあらゆるけち[#「けち」に傍点]な労働者クラブにさえ満ち溢れるそれらのものを、唯一つの手ばたきでここに視角化する魔力は持たぬ。民衆宮《ピープルス・パレス》とは日本よりの社会局役人をして垂涎せしむる石造建築と最初建造資金を寄附したミス・某々の良心的満足に向って捧げられている名前である。
門の方へ出て来ると、黒い水着を丸めて手に持った少年が番人に六ペンスはらって入って来た。水浴だ。黄色い運動服の女学生の姿は、一時間二シリング分だけネット裏で美しい。
人通りのない鉄柵に沿った暑いがらんとした通りをアイス・クリーム屋が通る。手押車にブリキ罐だ。
――JOES《ジョース》 ICE《アイス》! JOES《ジョース》! 三片《スラッペンス》!
古本屋みたいな窓の中はぎっしりの本
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