た」という感情にまで追い込まれないことを、総ての聴きては望んでいるだろうと考える。
聴取者は生きている
あちらこちらでラジオのことが考えられている様子で、十二月号の『中央公論』に宮原誠一氏が「放送新体制への要望」という文章をかいていられる。
筆者の閲歴などについて全然知らないから、その文章についての限りの印象だけれど、集団聴取その他様々の放送事業の新しい歩み出しが望まれている文章の題に、やはり今日のラジオ性が反映して、「放送新体制」というようないいつづけかたがされているのも、興味がある。
放送局の構成や人事について粛清というような文字がつかわれていることも、いろいろ私たちを考えさせる。近頃一部の流行の語彙と見れば、筆者のありようを語るわけだし、本来の語義で解釈していいものとすれば、こういう表現はその反対物として、夥《おびただ》しい因襲、悪弊の存在を認めなければならないというわけになる。
図解が昨今は大変趣向にかなうらしくて、この文章にも図入りで新構成の案が出ている中に、放送文化研究所というものが想定されていた。そこでいろいろ研究するのだろうが、それにつれて現
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