静にそこから下りそうにした。白布《プラトーク》の女はその腕を捕え、下ろさない。――彼女の上半身が、恐らくはクラブの新教育とともに心臓のある肋骨のすれすれ下のところぐらいまで教会スラブ語から脱皮しているのは確かだ。彼女は古風にてのひらへ蝋燭をつけて立って居る婆さんや男のように、聖旗から立ちのぼる宗教的霧などは認めない。金繍でパカパカした旗は要するに旗で、彼女が足台に必要とする一尺五寸の高さを丁度その支台が持っている時、どうしてそこへ登って悪いということがあろう。まして支台は一人や二人の女を載せて充分頑丈である場合。
 彼女の論理の終点から出直して、然し、私は日本のギリシャ教なき心に感じる。СССР婦人市民《グラジュダンカ》らしく闘志つよき彼女は何故そのように熱烈に一尺五寸の足台が欲しいのだろうか。何故小半町も遠い彼方の祭壇で往ったり来たりする大蝋燭のかがやきと僧冠の天辺だけを群集の頭越しに眺めて満足することは出来ないのか。彼女が革命までに食べた復活祭の色つけ卵の数だけ、彼女のうちで鐘の音とともによみがえる何ものかがあるのだ。非常に微妙な何ものか、説明し難い何ものか、それが彼女を狩り立てる
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