らは何がのぞいている? 松の枝。いつも緑深き松の枝。――松は天然の植物だ。――松を見て人間は何を感じる。――……
 彼は霊感のように一つの事に思い当るであろう。「これは尤《もっとも》だ。ロシアに十月《オクチャーブリ》があったのは。そして、この沢山な十字架と鷲との上に今日一片の赤旗が高くひるがえらなければならなかったのは」と。彼は理解ある旅行者として、はね返さずにはおられぬおもしが、ロシアの民衆の上にあったことを知る。
 このおもしに就ては、現代ロシアの民衆自身も忘れてはいない。労働新聞の特輯グラフィックに、一九一二年のレンスキー事件の写真がのる。レンスキー金鉱でストライキが起った。指導した労働者が捕縛された。その釈放を求めて集った労働者の群集を無警告で射撃し二百七十人を殺した事件だ。この事実に関して議会で質問が出た時、内務大臣マカロフはこう答えた。
 ――|その通りだ《ターク・ヴィロ》。|今後もそうであるだろう《ターク・ヴーデット》であるだろう。これは簡明で残虐な言葉だ。然し、こんな理解し難いような暴虐が、逆説的にロシアの民族に潜在する異常な飛躍性を示しているところに注目すべきである。
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