ストイェフスキーのように、救命帯を抜ぎすてて下へ下へ人生の底なきところへ沈みきるか、トルストイの如く、魂を掴んだ最初の一つの大きな人生からの疑問をどこまでも手放さず追って追って追いつめて人生を自己の足の下からたたき上げて行くか、どっちかにしないでは生き切れぬことを感じるのである。そのように、ロシアの生活はつよい感情、つよい思索、意志するならば強大な意志を要求して旅行者の魂にまでよせて来る。ピリニャークは、日本でどんな不愉快な時を過したか、それをよむとよく分る旅行記を書いた。なかに、「日本は欧州人をはじき出す」という意味の言葉があり、自分は面白いと思った。ロシアは全然これと反対だ。ロシアは一旦そのうちへ入って来たら、自身の力でそれを把握するか、それに呑み込まれるか、兎に角異様に深いひろい複雑な人生が私たちを底知れず吸い込む。

 ロシアのこの深さ、底なき心が歴史的実証となって立って居るある光景がある。復活祭の夜チェホフがその欄干によってモスクワの寺院の鐘が一時に鳴り出すのを聴いたという石橋《カーメンヌイ・モスト》の方から或は猟人《アホートスイ》リヤードの方から、クレムリンの|赤い広場《ク
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