生育させたゆえんだろう。
ロシアの民衆は彼等の人生をまず頭で、或は心臓の一歩手前で受けとめる道具として何ものも持っていない。イギリス的常識も、又は日本のいわゆる義理も。深く、深く、彼等の魂《ドゥシャー》に直接触れるまで、人生は彼の内に沁み込んで行くことを許される。魂《ドゥシャー》がそれに触れた時、彼は何と叫び出すか。どの程度に叫ぶか。それは彼自身知らないであろう。これは非常に興味ある民族の特徴だ。ゴリキーの「どん底」に出て来るすべての人間が面白い理由はここにある。彼等にいわゆる学問は一つもない。然し人生哲学はある。ひろい、様々な人生は絶えず彼等の魂《ドゥシャー》に触れて彼らをして叫ばせる。人生と各々の性格とが仲介物《ミディヤム》なしに結びついて生きている。故に、ロシアでは、乞食の児のようにして育って来た子供が、いつか文字をおぼえ、彼の深く敏感な魂《ドゥシャー》に従ってよき作家となることが、まれでなく在り得るのだ。例えば、「セメント」の作者の両親は何であったか。ヴォルガの浮浪労働者であった。幼年時代のグラトコフは、いわゆる教育は何一つ与えられなかった。然し、生きるにつれ、彼を取りかこむ
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