が一目のうちにとび込んで来る。彼が若し、風景として感覚のうちにおどり込んで来るそれら人生《ジーズニ》の断片を吸収するだけの活々した生きてであるなら、同時に、そこから何か動きつつある民族的雰囲気というようなものを感得するのは、むしろ当然なことだ。
 或る時、私はホテル・サボイの食堂に坐っていた。ホテル・サボイは外国旅客専門のホテルで、エレヴェーターボーイは英語で「おかけ下さい」と云い、給仕頭は白ネクタイをつけている。私の前には黒イクラとレモンをのせた鮭と酒がある。みな日本人である。半官的職業にたずさわる人々で、数年――彼等の経歴の最初のふり出しをロシアで始めたというような人もいる。革命前と後のロシア比較論なども出て、その論に対しては私の頭の中に夥しいクウェスチョンマークが発生したが、やがて一人が、忿懣を感じるような口調で云った。
「兎に角ロシアは泥沼ですよ、一遍足を入れたらもう抜かれやしない。その証拠にロシアで商売して金儲けした人間なんぞありゃしません。損に損する、それでいて、何故だかやっぱりロシアから足は抜かれない――全く泥沼さ」
 この言葉は私の感情に、丁度母親の胸を蹴る赤坊の足の感
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