はさまず記録的に書いているが、記録蒐集のこまやかさと整理の印象的な点に、我々は彼がどんなにロシアに魅力を感じ理解していたかを知る。彼をひきつけ、我等を吸いよせ、殆ど眼を離させぬロシア生活の魅力とは、一体どこにある何ものなのであろうか。
私はそれを感じる。モスクワの古く狭い街路の上に。群集の中に。或はホテルの粗末な絨毯の上を闊歩する代表員《デレガート》のキューキュー鳴る長靴の上に。スイッツルの旅行者はアルプスと碧い湖と林とを見る。何より先自然の美観が彼に作用し、各々の才能に従って三色版のエハガキのようにか、或は散文詩のようにか彼の印象記を書かせるであろう。ロシアには、このような意味の風光は無い。モスクワでは、例えば、古風な寺院の外壁のがんに嵌めこまれた十八世紀の聖画に興味をひかれたら、彼は必ず同時にその外壁の下でひまわりの種をコップに入れて三カペイキで売っている婆さんの存在をも目に入れなければならない。聖画の古さ、婆さんが頭にかぶったきたない布《プラトーク》、婆さんの前を突切って通行する皮外套の婦人共産党員《コムムニストカ》の黒靴下の急速な運動など――互に対照する人生《ジーズニ》の断面
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