繩! おまけにこら! 毒じゃないかしらん、この粉――
 ――支那の繩って奇妙なもんだな。じゃ、そっちの錠だけかけといてもう行くといいわ!
 錠をかけたのは四角い大きな樺の木箱だ。それは明日モスクワから日本へ向って送り出されるべきものだ。――日本女そのものがいよいよ明日はモスクワを去ろうとしているのだ。
 左の方にプーシュキン記念像がある。有名なマントをひっかけてたたずんでるプーシュキンの頭は、街燈、電車のポール、並木道《ブリヴァール》の冬木立の梢などの都会的錯綜の間にぼんやり黒く見える。
 ――右かね、左かね?
 御者の声に日本女は、
 ――右! 右!
と返事した。
 ――かど曲ってすぐの門へつけて。
「モスクワ夕刊新聞社」ひろいガラス戸が鈍く反射しながらしまっている隣の狭い入口を日本女は足早に入って行った。もう一つあちら側に戸口があってそこから内庭――建物の全然反対な通りまで出られる石敷のがらんとした玄関。(こういう家の構造は一九一七年までに多くのプロレタリア解放運動の犠牲者の生命を保護した。)階段を登り、右手の扉《ドア》を押して入った。そこは一般の廊下である。いくつも同じような樺色
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