」と褒める。これもゴーリキイの気を重く、また考えぶかくさせた。ナロードニキである学生達は民衆を叡智と精神美と善良との化身、「すべての美なるもの、正義あるもの、崇厳なものの原理の所有者」のように話すのであったが、ゴーリキイが物心つくとからその中に揉まれ、それと闘って来た現実生活の下で、彼は「このような民衆を知らなかった。」
 この事実こそ、最も明白にナロードニキ(民衆派)の学生達の善意はあるが、抽象的な世界観の内容とゴーリキイの現実的な社会の認識との間に横たわる歴史性の本質的な相異を語るものである。然し、この価値の高い現象も当時にあっては、ゴーリキイに或る不安な驚きと自分に対する一種の不信とを感じさせるにとどまった。
 学生達はゴーリキイを、生えぬきの民衆の子としてばつが悪い位珍重しながら、一方ではゴーリキイを、彼等流の教育[#「教育」に傍点]で鍛えようとした。教師[#「教師」に傍点]たちは、ゴーリキイに勝手に好きな本をよむことを許さなかった。読んだものについてのゴーリキイらしい批評を注意ぶかく聞こうとしなかった。彼等は云うのであった。
「君はこっちからやる本を読めばいいんだ。君に適しな
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