]するんだ――冗談じゃないか!」
 冗談に云ったのではない。それは分っている。いやらしい貸本屋と手を切るためにゴーリキイは五十哥だけ盗むことにきめた。三日ばかりというものゴーリキイは深くこの計画で苦しんだ。いつか主人が、妻や婆に反対して「この子は盗みなんかしないさ。ちゃんとわかっている」その言葉が甦って、ゴーリキイの手を縛るのであった。ゴーリキイは平常の顔色をなくして来た。それに心付いたのは一家の中で少しは人間らしいところのある主人であった。
「ペシコフ。お前元気がなくなったぞ。体がわるいのか?」
 ゴーリキイは、自分の困っているあらいざらいをぶちまけた。
「それ見ろ、本なんぞ読むからこんなことになるんだ」
 彼は五十哥をゴーリキイに握らせ、念を押した。
「いいか、妻にも阿母さんにも口を辷らしちゃいけない。――騒動が持ち上る。」そして悪気のない調子でつづけた。
「お前は強情な奴だな。だが、それは、それでいいんだ。心配することはない。然し本だけはやめろ[#「然し本だけはやめろ」に傍点]」
 主人が家で『モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]新聞』をとるようになった。お茶から夕飯まで
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