ねえ」
 このスムールイは、呆れる程ウォツカを飲むが酔っぱらったためしがなかった。水夫長も料理人も、船じゅうのものがこの男の怪力と一種変った気風に一目置いていた。夕方、スムールイが巨大な体をハッチに据えて、ゆるやかに流れ去って行くヴォルガの遠景を憂わしげに眺めながら、何時間も何時間も黙って坐っているような時があった。こういう時の、スムールイを皆が特別に怖れた。
 禿頭の料理番が出て来て、そうやって坐っているスムールイを見ると、やや暫く躊躇した後、遠くの方から声をかけるのであった。
「――魚がどうもよくねえんだが……」
 スムールイは顔も振向けず歯の間から返事した。
「そんなら漬物で和《あ》えろ……」
「でも魚スープか蒸焼を注文されたら?」
「作れ。どうせ食う」
 ゴーリキイには、こういう場合のスムールイの心持が通じた。スムールイを憐む感情が湧いた。ゴーリキイは自分の心にも似たような黒い、激しいものが答えられない疑いとして煮え立つことを既に幾度か経験しているのであった。
 例えば、汽船の皿洗い小僧として、自分という人間は朝から夜中まで皿を洗う。鉢を洗う。ナイフを磨き、フォークと匙を光らせ
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