初のうち、この「ペシコフ、来い」の号令はゴーリキイを苦しめた。読んでいるうちにスムールイが眠ってしまったように見える。すると彼は音読をやめた。否応なく読ませられることから胸のわるくなるような思いのするその本を眺めまわしていると、スムールイは、嗄れ声で皿洗い小僧に催促した。
「お――、読みな」
 スムールイの黒トランクの中には『ホーマー教訓集』『砲兵雑記』『セデンガリ卿の書翰集』『毒虫・南京虫とその駆除法、附・此が携帯者の扱い方』などという本があった。始めの方がちぎれて無くなってしまっている本。終りがない本。そういう本がつまっている。
 スムールイはゴーリキイに向って「口癖のように云いきかせた。」
「本を読みな。わからなかったら七度読みな。七度でわからなかったら十二遍読むんだ!」
 そして、自分や、周囲のものが日から日へと過している無駄な生涯を顧みて、肥った獣のように呻き、深い物思いと当途のない憤りに沈んで荒っぽく怒鳴るのであった。
「そうだ! お前には智慧があるんだ。こんなところは出て暮せ!」
「豚の中にいては、お前の身が台無しだ。俺はお前が可哀そうでならねえ。奴等もみんな可哀想でなら
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