が二十哥握って逃げ出した後、働くことになったヴォルガ通いの汽船での皿洗いの仕事も十一のゴーリキイにとって決して楽な勤めではなかった。給料月二留。朝六時から夜中までぶっ通しの働きであった。ここでも四辺に満ちているのは暗い野蛮、卑猥、飽きもせず繰返されている喧騒とであったが、計らず「母なるヴォルガ」はその洋々とした流れの上で、ゴーリキイの生涯にとって実に意義深い「最初の教師」をひき会わせることになった。
皿洗いゴーリキイにとっての上役、太って大力な料理人スムールイが、年にあわせては背の伸びた、泣ごとを云ったことのないゴーリキイの天性に何か感じるものがあり、彼に目をかけた。午後の二時頃、暫く手がすくと、彼は号令をかけた。
「ペシコフ、来い!」
スムールイの船室に行くと、彼は小さい皮表紙の本を渡した。
「読んで見な!」
ゴーリキイはマカロニ箱の上に腰かけて声高く読む。「……左胸のあらわなるはハートの無垢なるを示し……」
すると、煙草をふかしつつ仰向に横になっているスムールイが、口を挾む。
「誰のがあらわなんだ?」
「書いてないよ」
「女の胸だろう……。チェッ、放蕩者ばっかりだ!」
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