殆ど一世紀近い歳月が流れている。ゴーリキイを憤怒させた哀れな中小僧サーシャの雀の聖骸の物語は欧州の科学的文化の進歩に対してロシアの社会の封建制、ギリシア正教がどのようにおくれたものであったか、そして、そのために民衆の想像力はどのような形で迷信に縛りつけられていたかということを、今日の読者である我々に驚きをもって啓示するのである。
靴屋の小僧をやめて後、ゴーリキイは製図師の見習小僧をさせられた。ヴォルガ通いの汽船の皿洗いをし、聖画屋の小僧となり、ニージニの定期市での芝居小屋で、馬の脚的俳優となったりした。日本では西南の役があった次の年、一八七八年(十歳)からの五、六年は少年ゴーリキイにとって朝から晩まで苦しい労働の時代であった。この時代、大人の利己心、仲間の性わるさにこづきまわされつつ彼は「多く労働した。殆どぼんやりしてしまうまで働いた。」
背中に繩をつけられた小猿のように、ゴーリキイの後についた紐のはじは、祖父か祖母の手に握られており、ゴーリキイの給料ともいえない僅の銭は皆そういう人々の掌に入ってしまうのであった。
祖母さんの妹息子の製図師のところから、虐待に堪えかねゴーリキイ
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