はここにはないんだ。」
かくて、八歳のゴーリキイに愈々「人々の中」での生活が開始するのであるが、これらの多彩で苦しい幼年時代の思い出を、ゴーリキイは一九一三年(四十五歳)有名な「幼年時代」に描いた。野蛮のロシアの生活の鉛のような醜悪さ、「賢くない一族」の残忍に満ちた暗い生活をゴーリキイは「根ぐるみ、記憶から、人間の魂から、我々を重い苦しい愧ずべきすべての生活からそれを引抜かんがためには、根まで知らなければならないところの真実」、「憐憫にまさる真実」の姿として描いた。
更に、「もっと積極的な理由」――
このような豊富で脂濃い生活の獣的な屑を貫いて、「猶新鮮で健康な創造的なものがやっぱり勝を制して芽生えること、明るい人間的な生活に対する我等の再生に対する破壊し難い希望を呼び醒しつつ、善きもの――人間的なものが生い立つ」ロシア民衆の生活力の驚きと愛とを伝えようとして、ゴーリキイは、非常に特色的な「幼年時代」を書いたのであった。「十月」以前のロシア文学は、二種類の忘れることの出来ぬ「幼年時代」の貴重な典型を今日にのこした。その一つは、レフ・トルストイの「幼年時代」である。
「一八××年八
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