との実際を、ゴーリキイは、恐らく自覚した以上の鮮明さで描き出しているのである。しかしながら、そこにはまだ「開かれた処女地」に於て輝き出した新しい世界観、組織の力は見出せない。
 同時に、ゴーリキイの生涯を通じて(最後の数年間をのぞき)持たれた彼の農民に対する考えかたの根が、このヴォルガ河畔の村落生活の経験によって植えつけられたことも、見落せないところであると思う。ゴーリキイは、ナロードニキが民衆を想像したようにでなく、民衆を自身その中の一人として理解していたように、農民をトルストイ的傾向と、全然反対に観破した。特に、富農らが、どんなに「理性を憎悪」するかということ、その富農らに百姓はどんなに瞞着され、ふりまわされるかということ。猶農民の一般的な貪慾さなどというものを、ゴーリキイは嫌悪し、農村の暗さ、野蛮さ、農民の愚痴っぽさに対して都会の優越を、都会の労働者の積極性を対立させ、より高く評価しているのである。急速に没落した小市民の家族から出生したと云っても境遇の必然からプロレタリア的な暮しの中で成長しつつある青年ゴーリキイの心持がよくわかるのである。が、このことの中には私共を誘って、更にも
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