う一歩奥まったゴーリキイの精神の内部へと立ち入らせるモメントを含んでいる。それは一九二三年「私の大学」の中でこれ等の生彩ある部分を書きながら、ゴーリキイが、では、何故[#「何故」に傍点]、都会と農村との間にはこのような反撥が生じているのか、何故[#「何故」に傍点]、農民は概括的単純に労働者の協力と云うことは出来ないかという問いを、たとい、自分自身に向ってでも提出していないかということである。少年時代から「何故に?」という疑問をたぐって現実をかき分けて来たようなゴーリキイにとって、これは、何となくふさわしくなく思われる。都会と農村との反撥について、農民の抱いている理性への反逆について、クラスノヴィードヴォの村で受けた印象は二十一歳のゴーリキイに余り強烈であったと見える。「煉瓦でやっつけろ!」という熱い喚き声の感銘は、作家ゴーリキイの中で一つの固定的見解となったかのようである。ゴーリキイは農村に関するこの個人的、肉体的見解、感情のために、ロシアの現実の大局的理解を誤った時期さえある。その最も顕著な例は一九一七年の十月以後であった。
歴史的には古い文化に対する新しい文化の擡頭、その発展のた
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