敏感な心に一縷の光りと美の感情を吹きこんだのは、祖母アクリーナの一種独特な存在であった。子供の時分は母親につれられて乞食をして歩いたアクリーナ。八つ位からレース編の女工になって素晴らしい腕をもっていたアクリーナは、二十二歳でヴォルガの船夫頭をしていたカシーリンの母親に見込まれて嫁入って来たのであった。祖母は小さいゴーリキイに物語ってきかせた。
「祖母さまのおっ母がそれとなし気をつけておらを観ておったのだ。おらは女工だ。乞食の娘だ。だからおとなしくすべえ。……おっ母というのは錠形《カラーチ》パンみたいで悪い心の女であった。口にも云えねえ。……」
 だが、この祖母は、自分の辛酸な閲歴の中から慾心のない親切と人間の生活の智慧に対する信頼とを見つけ出して来た稀有な心の持主であった。ロシアの古い民謡を実にどっさり知っていてそれを上手に唄い、祖父のいない晩の台所での団欒がはじまると、ふだんは太った重い体がどうしてああも不思議な魅力を示すかと驚くような踊りをおどった。特にその物語は、すべての聴きてを恍惚とさせる熱と抑揚とを持っているのであった。台所の炉辺で、或は家じゅうを荒れている気違い騒ぎから逃げ
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