をひっぱたくのであった。ゴーリキイはこの屈辱に堪えることが出来なかった。死んだ父親のマクシムはゴーリキイを打擲したことはなかった。だと云って、五つの子供が一週間何一つ折檻の種をつくらずに暮すことなど、どうして出来よう。或る土曜日、ゴーリキイは猛烈に抵抗して猶更祖父さんからひどくひっぱたかれ、最後まであやまらないで気絶したことがあった。このことでゴーリキイは熱病にかかり、永い間寝床から起きられなかった。ほかの従兄弟らは、依然として土曜日になると樺の鞭をくって泣き声を立てつづけたが、ゴーリキイの抵抗は遂に祖父さんを屈服させることが出来たのであった。
 アレキサンドル二世が形式的な農奴解放を行ったのは一八六一年であった。ゴーリキイが生れた時分、農奴制そのものは廃止されていた。しかしながら、二百五十年間に亙ってロシアの大衆の生活を縛りつけていた封建性は実に深く日常の習慣に滲みこんで、家庭内における父親の専横、主人と雇人との関係の専制的なことは、恐ろしいばかりであった。ゴーリキイの祖父の家の生活は、その息づまるような一つの標本なのであった。
 こういう幼年時代の暗い荒々しい境遇の中でゴーリキイの
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