ている。レーニンが指導するボルシェヴィキと修正派ボグダーノフとがマルクス主義哲学について大論争を行っていた当時、プロレタリアの世界観をわがものにしていない「マルクス主義者に近いもの」であったゴーリキイははなはだしく動揺して、ボグダーノフと雑誌を出したり、ボグダーノフに利用されるような労働者学校を組織したりして、一時レーニンの社会民主労働党から脱落しかけた。その時、フランス、イギリス、ドイツ、ロシアのブルジョア新聞は手を拍ってよろこび、レーニンはゴーリキイを除名したと宣伝した。ゴーリキイ自身これに対して闘い、レーニンはその時党機関紙『プロレタリア』に特別な論文を書いた。「同志ゴーリキイは、彼の偉大な芸術的制作によって、かかるやからに軽蔑を以てして以外には答え得ないほど強力にロシアならびに全世界の労働者運動と結びついているのである」と。

 さて、マクシム・ゴーリキイ、本名アレクセイ・マクシモヴィッチ・ペシコフは、一八六八年三月二十八日、中部ロシアのニージュニ・ノヴゴロド市で生れた。父親はある将校の息子であったが、十七歳になるまでに五度も家出をくわだてた。父親である将校は部下を虐待したかど
前へ 次へ
全32ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング