ゴーリキイは日本の「根付」を集めたことがあることやムッソリーニは婦人に出版権を与えていないこととかを話した。私は自分の本を贈り、短くそのときの自分の心持(インテリゲンツィアの女としての)を話した。
モスクワへ帰ってから、あるところで或る知人に会ったら、その人は一つの書類を私に見せた。それは「哀れなる少年の一団より」の翻訳であった。そして、対外的には反ソヴェト的にゴーリキイがそこに引き合いに出されているのを見た。私はゴーリキイが世界的にもっている影響力の深大さに打たれた。一九二八年のゴーリキイのソヴェト訪問の結果は、世界のすべての資本主義国が卑しい期待にがつがつして待ちかねていたところであった。イタリーのソレントに住んでいながら、常にソヴェト同盟の達成に留意し、反ソヴェト運動に対して文筆をもって闘って来たゴーリキイが、実際のソヴェトを見て何と云い出すか、それによっては直ちに牙をむいて飛びかかろうと待ちかまえていたのであった。ゴーリキイは、自分の置かれている歴史的な立場については正しく慎重に理解した。卑しい期待は満たされ得なかったのである。
一九〇九年に、ゴーリキイは教訓的な経験をし
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