、六月のある朝、ヨーロッパ・ホテルの一つの戸をたたいた。
 ひどく背の高い、ゴーリキイの息子が出てきた。普通の長椅子やテーブルの置いてある室へ案内した。朝日が、二つならんだ大きい窓から大理石のテーブルの上にさしている。そこへ食べのこしたのか、まだ食べないのか一切れのトーストがぽつんと皿にのって置かれている。
 息子と入れちがいにゴーリキイが入って来た。かわいた、大きい温い心持よい手である。低いソフト・カラアにネクタイを結び、茶っぽい毛糸のスウェータァの上へいきなり銀灰色の柔い上着を着ている。瘠せているが息子よりもっと背が高く、青い注意ぶかい、鋭い眼である。
 ゴーリキイは低い椅子にかけ、片肱を膝に立てた恰好で、ゆっくり話す。分り易い、気どらない言葉づかいで、それは体全体の調子とつり合い、深い信頼を起させた。日本の文学のことなどをきき、単純に、
「ソヴェトをどう思うか」
ときいた。私は力をこめて、
「大変面白い」
と云った。ゴーリキイは暫く黙って考えていたが、やがて、
「それは本当だ」
と云った。自分は、貴方はどう思っているかとはききかえさぬ。何故なら、ゴーリキイは五年ぶりの訪問で、驚く
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